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■「お台場(だいば)」という地名(ちめい)に隠(かく)された、お台場誕生(だいばたんじょう)の秘話(ひわ) いまや斬新(ざんしん)な建物(たてもの)が立(た)ち並(なら)び、近未来的(きんみらいてき)な観光(かんこう)スポットとして定着(ていちゃく)した「お台場(だいば)」ですが、歴史(れきし)をひもといてみると、意外(いがい)な事実(じじつ)が判明(はんめい)...。 そもそも、「お台場(だいば)」の歴史(れきし)は江戸時代(えどじだい)に始(はじ)まりました。「台場(だいば)」とは砲台(ほうだい)、つまり大砲(たいほう)を置(お)く「台(だい)」となる場所(ばしょ)のこと。江戸末期(えどまっき)、ペリー来航(らいこう)をきっかけに、外国船(がいこくせん)の襲来(しゅうらい)を脅威(きょうい)に感(かん)じるようになった徳川幕府(とくがわばくふ)が、江戸(えど)を守(まも)るために築(きず)いた砲台(ほうだい)、それが「台場(だいば)」でした。幕府直轄(ばくふちょっかつ)の地(ち)や由来(ゆらい)のものには「御(お)」を付(つ)けて呼(よ)ぶ習慣(しゅうかん)があったことから、「台場(だいば)」に「御(お)」がつき、時代(じだい)を経(へ)て「お台場(だいば)」と呼(よ)ばれるようになったのでしょう。この辺(あた)り一帯(いったい)は、近年(きんねん)、臨海副都心(りんかいふくとしん)として整備(せいび)され、新(あたら)しい街(まち)へと生(う)まれ変(か)わりました。 ちなみに、当初(とうしょ)、海上(かいじょう)の台場(だいば)は11基(き)造(つく)る予定(よてい)でしたが、完成(かんせい)したのは5基(き)。現在(げんざい)は、第(だい)三・第(だい)六台場(だいば)が国指定(くにしてい)の史跡(しせき)として残(のこ)され、第(だい)三台場(だいば)は「台場公園(だいばこうえん)」となっていて陸続(りくつづ)きです。 さて、その他(ほか)の台場(だいば)ですが、東京港拡張(とうきょうこうかくちょう)のために第(だい)一・第(だい)五台場(だいば)は「品川(しながわ)ふ頭(とう)」に埋没(まいぼつ)、第(だい)二台場(だいば)は航路(こうろ)と重(かさ)なるため撤去(てっきょ)されています。そして未完成(みかんせい)であった第(だい)四台場(だいば)は、現在(げんざい)の天王洲(てんのうず)アイルにあたる場所(ばしょ)にあって、地形(ちけい)や石垣(いしがき)などにわずかな名残(なごり)があります。