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東京は、これまで新たな産業や先駆的な技術を生み出し、わが国の経済発展の原動力となるとともに、広く生活や文化の面においても新しい価値観や多様なライフスタイルを創出してきた。また、わが国の国際的地位の向上と発展にも大きな役割をはたしてきた。しかし、その一方で、人口や産業の東京への集中が進み、種々の都市問題をもたらしたが、近年の国際化、情報化の進展により、一点集中といわれるまでに業務機能等が都心部に集中し、都市問題が深刻化した。
こうした問題に対応するため、都は、かねてから都市づくりの基本政策として一点集中型から多心型都市構造への転換を進めることとしてきたが、第二次東京都長期計画(昭和61年11月)においては、多心型への転換を積極的に推進するため、臨海副都 心を第7番目の副都心として育成する方針を定めた。
この長期計画に基づき、『臨海部副都心開発基本構想』(昭和62年6月)、『臨海 部副都心開発基本計画』(昭和63年3月)を、また、具体的事業化に向けて『臨海副都心開発事業化計画』(平成元年4月)を策定した。これらに基づいて、都心部に近い広大な都有地において、時代の潮流である国際化・情報化の拠点を整備するとともに、職と住の均衡のとれた理想的な未来型都市の実現をめざすこととした。事業の進め方についても、異常な地価高騰や内需の拡大が求められていた時代背景のもと、開発者負担、新土地利用方式、第三セクターの活用などの特色ある手法を導入した。
しかし、当初の基本計画策定から約9年を経過し、この間、東京、そして臨海副都心を巡る状況は大きく変化した。バブル経済が崩壊し、長引く景気の低迷、地価の大幅な下落、オフィス需要の減退などが事業者の進出意欲や地権者の開発への意欲に深 刻な影響をもたらし、また、土地の運用収入も大幅に減少した。
一方、東京都心部への集中の圧力は緩和しつつあるものの、依然として諸機能の都心部への集中による通勤混雑、交通渋滞などの交通問題や騒音などの環境問題といった、集中による弊害は是正されていない。加えて、産業の空洞化や都心部の居住人口 の減少などにより、東京の活力の減退が指摘されるとともに、アジア諸都市の国際舞台への急速な台頭により、東京の国際的地位の相対的低下が懸念されている。また、地震災害等に対する安全性の確保、ゆとりと豊かさに満ちた生活への期待など、都民の生活観や意識は大きく変わりつつある。さらに、地球環境問題への認識の高まりから、開発と環境の調和が求められてきている。
そこで、開発の第一段階である始動期の終了に合わせ、始動期後の開発について、総合的な見直しを行うこととし、平成7年9月、臨海副都心開発懇談会を設置して見直しを開始し、平成8年4月に最終報告を受けた。そして、この懇談会の報告、都議 会での議論や提案並びに都民から寄せられた意見等を勘案したうえで、平成8年7月、今後の開発の基本的方向を示した『臨海副都心開発の基本方針』を決定した。本計画は、この基本方針に基づき、多くの都民に親しまれるまちとなるよう「レインボータウン」と名づけた臨海副都心の開発を着実に推進していくため策定するものである。
なお、臨海副都心の関連地域である豊洲・晴海地域については、地域整備のマスタープランである『豊洲・晴海開発整備計画』を早期に改定し、地元関係者の理解と協力を得ながら、開発を進めていく。 |
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[1] |
『臨海副都心開発の基本方針』(平成8年7月)に基づき、『臨海部副都心開発基本計画』(昭和63年3月)及び『臨海副都心開発事業化計画』(平成元 年4月)を総合的に見直し、策定した計画である。 |
[2] |
臨海部全体を視野に入れ、臨海副都心開発の方針、事業内容、事業手法などを集約した今後の事業実施の基本となる計画である。また、この計画を補完する計画として今後策定又は改定する『臨海副都心まちづくりガイドライン』、『臨海副都心住宅整備計画』、『臨海副都心防災基本計画』など、具体的なまちづくり計画の基本となる計画である。 |
[3] |
今後の広域的交通基盤の整備、地域内都市基盤の整備及び土地処分の実施計画を含む計画である。 |
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